人生初の海外旅行はロンドンでした。外国人だらけ、英語だらけの刺激的な 5 日間。書き出したらキリがないですが、とりわけ印象的だった出来事について書こうと思います。
2009年6月24日は、サッカーの聖地 (らしい) ウェンブリー・スタジアムで AC/DC というバンドのライブが行われることになっていました。私は引きこもり気質なもので、海外に旅行だなんてとんでもないことだと考えていたのですが、そんな私でも DVD で観る彼らのパフォーマンスは「一生に一度はぜひともこの目で」と思えるものでした。当時、ボーカルのブライアン・ジョンソンが 61 歳、リードギターのアンガス・ヤングが 54 歳。彼らの年齢を考えると、このチャンスを逃したらもう二度と見ることはできないかも。そう思ったら俄然やる気が湧いてきまして、ライブツアーの開催都市リストを穴のあくほど眺めまして、自分でも行けそうな会場を探し始めました (驚くことにそれから 17 年が経った 2026 年現在でも、彼らは精力的に活動しています。しかし 2014 年にヤング兄弟の兄であるマルコムが病気療養のため脱退、2017 年に亡くなったことを考えると、やはり 2009 年のこのタイミングというのは、ある意味ラストチャンスに近かったと思います)。
渡航先としての条件は「治安がまあまあ良さそう」「直行便で行ける (飛行機の乗り継ぎはなんかハードルが高い)」「現地での移動に鉄道が使える (タクシーやバスはなんかハードルが高い)」「英語が通じる (ロシア語やタガログ語よりは話すことができます)」。で、選んだのがロンドンでした。成田を発ってからそろそろ 10 時間くらい経ったかな、と思って時計を見たらまだ 4 時間しか経ってなくて絶望してから 8 時間後、私は外国人だらけかつ英語だらけの地に降り立ちました。2009年6月23日、現地の時間で 15 時ころ、天気は快晴。
明けて24日、天気は快晴、この日がすなはちライブの当日でした。道に迷って開演に間に合わなかった、なんてことはなんとしても避けたかったので、開場は 16 時でしたが、午前中にはホテルを出発して、わき目もふらず現地まで行って、そこでだらだらぶらぶらして時間をつぶすつもりでした。当時の日記によると 9 時ちょっと前にホテルを出て 9 時に最寄りのパディントン駅、そこからベーカールー・ラインに乗ってウェンブリー・セントラル駅まで行って降り、あとは徒歩、ウェンブリー・スタジアムに到着したのは 10 時 30 分ころだったようです。
「コンコース」っていうんですかね?スタジアム外周のデッキみたいになっているところをぶらぶら歩いたり、フェンスにもたれて周囲の景色を眺めたりして、気長に開場を待っていました。1 時間くらい経ったころだったと思いますが、私はなんとなくスタジアム近くの交差点を眺めていました。スタジアムの南側を走る「サウス・ウェイ」に北から「ファースト・ウェイ」が接続する T 字型 (というよりは Y 字型) の交差点で、そこにスタジアムの駐車場へ引き込む道路の入り口も付いていました。道はどちらも片側 1 車線であり、交差点もそれほど大きなものではありません。その交差点の、車をせいぜい 3 台停められるかどうかくらいな空きスペース (というよりはほぼほぼ歩道) に 1 台の乗用車がやってきて、無造作に停車しました。
中からでてきたドライバーが、つかつかと近くの交通誘導員に歩み寄ると、なにやら文句を言い始めました。この時はまだスタジアムの駐車場が封鎖されていたので、車を停めることができないイライラを、このあわれな交通誘導員にぶつけているように見えました。するとこの車が呼び水となって、他の車まで俺も俺もと無理やりこの一帯に停めはじめ、あっという間に周辺に大渋滞が発生しました。そこに停めたら後がつかえることは明らかだろうに。誰かがクラクションを鳴らせば、他の誰かもクラクションを鳴らして応酬する、みたいな地獄絵図を、私は完全なる他人事として呆れ眺めておりました。
この交差点にとめどもなく押し寄せる車の中の 1 台に、2 トンくらいのトラックがありました。運転手のお兄さんがトラックから降りてきて、ドアをバンと閉めて、交通誘導員とドライバーたちが悶着している渦中に歩いていきました。「うわぁ、火に油が注がれちゃったよ……」そう思いました。ところがこのお兄さん、停車している車の 1 台 1 台に、あっちにどかせとかこっちに寄せろとか指示を与えだしたのです。まるでスライド・パズル・ゲームのピースを注意深く動かすかのように。それでいてどのピースをどう動かしたら絵が完成するのかが、彼自身にはもう見えているかのように。彼 1 人の活躍で交差点は次第に流れを取り戻し、ついにはあれだけの渋滞が跡形もなく解消されました。いったい何者なんだ。私一人の (心の中での) 賞賛を浴びて、彼は颯爽と去っていきました。

さて、まだまだ時間はたっぷりあるので、彼が去ったあとも私は余韻にひたるようにその交差点を眺めていました。するとなんと愚かなことか。またも同じようなことをし出かす車が現れて、同じように意味のない渋滞を作り出したのです。歴史は繰り返す。この光景の一部始終を動画に撮っておいたら面白かっただろうなあ (でも撮っているところを当事者に見られてトラブルになっても嫌なので、写真一枚残っていません、残念)。「最も優れた政体は賢帝による独裁である」という話を聞いたことがあります。そのときは「なるほど、そうかも」と思って、実際そのとおりだったわけですが、この日私は、賢帝が去ったらその後どういうことになるのかもまた目の当たりにしたのでした。
開場まで、あと 4 時間。