『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 (あるいは『ライ麦畑でつかまえて』) で知られる J.D.サリンジャーの短編小説です。グラース家の長男・シーモアの結婚式。どたばたに満ちたその 1 日を、次男・バディの視点から描きます。当日になって失踪する花婿、それに端を発するトラブルの連続、個性的すぎる登場人物たちとの悶着。そして、それらが嵐のように吹き荒れて過ぎ去ったあとの静寂。終ってみればさわやかな余韻が残る一作です。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はおもしろかったけど、他の作品は読んだことないよ、という方におすすめです。
本作は、1942 年に行われた (行われるはずだった) 兄・シーモアの結婚式での出来事を、弟のバディが 1955 年になって回想している、という体裁を取っています。1942 年 6 月 4 日午後 3 時、バディ・グラースはグラース家を代表して結婚式に参列していました。ところが、予定時刻を過ぎても新郎新婦が現れない。1 時間 20 分ほど経ってからわかったのは、新郎のシーモアが失踪したということ。花嫁は両脇を両親に抱えられるようにして式場を後にします。残された招待客たちにも車が用意され、(披露宴があろうがなかろうが、予定が変更されようがされまいが) それに乗るように案内されます。はじめ、他の招待客のためにドアマンの役を買って出たバディですが、6 月の暑さと、捌ききれない数の招待客に嫌気がさし、とある車に 4 人の男女を押し込んだあと、自分もひょいと乗り込んでしまいます。首尾よく車は出発しましたが、車内は新婦側の近親者ばかり。ただ一人新郎側のバディ。元凶であるシーモアへの非難が渦巻く車内で、嫌な時間が流れます……。
そこからだいたい 45 ページにわたる車内のようすの書き込みは圧巻です。シーモア批判の急先鋒を務めるバーウィック夫人 (結婚式で花嫁の付き添い役を務めるはずだったので、作中ではずっと「介添夫人」と呼ばれる) をはじめとするクセの強すぎる同乗者たちと、バディとの間で交わされる緊迫感あふれる会話、彼らの発言や心理と連動した一挙手一投足。特に私が好きなのが、パレードの通過のために車が長いこと停車せざるを得なくなる場面です。しびれを切らした介添夫人の亭主ボブが、交通整理の警官に状況を確認するよう、運転手に促します。
彼は数歩離れた交差点まで、ゆっくりとした足どりで、傲然とではないけれども実に悠然と歩いて行った。そして、そこでいろいろと指図をしていた交通整理の警官と、いつ果てるとも思えぬ立ち話を始めた (介添夫人が背後でうめき声をあげたのがわたしにも聞こえた)。そのうちにいきなり、二人ともがはじけるように笑いだした。ものを訊いたり答えたりしているのではなくて、下司な冗談でも言い合っているような感じだった。それから、われらが運転手君は、何がおかしいのか、なおも笑いながら、警官に向かって仲間にでも振るように手を振ると、ゆっくりゆっくり車のほうへ戻ってきた。そして車内に入ると、ばたんとドアを閉め、ダッシュ・ボードの上にのっていた煙草の袋から一本抜き取って、それを耳の横に挟み、それから初めてわたしたちの方を振り返って、結果の報告をした。「奴さんも知らねえんだ」と彼は言った「パレードが通り過ぎるまで待たなくちゃなるめえなあ」そう言って彼は、わたしたちみんなに、ひとごとみたいな視線を向けながら「そいつが終わったら先へ行けるってわけだ」そして正面に向き直ると、彼は、耳の後ろから煙草をとって火をつけた。
車外での交渉の行方が気になる車内と、そんなこと知ったこっちゃない、とでも言いたげに談笑する車外の 2 人。車内のイライラが手に取るような描写です。その後も介添夫人の花婿への非難は続き、その矛先は弟であるバディにも向き始めます。車内の緊張とイライラが最高潮に達したそのとき。突如、文字どおり 1 行で、パレードがやって来て、車内の会話をすべて掻き消します。にっちもさっちもいかない状況の中で、介添夫人が「ヤンキー・スタジアムの外野席からでも聞こえて来るみたいな」大声で放った一言が、物語を動かします。「もうがまんできないわ!」「こっから抜け出して、どっか電話のかけられる所を探さない?」この発言を機に、対立構造が形成されつつあった車内の人々のあいだに、奇妙な同盟が結ばれ、一致団結して車を離脱することになるのですが、この場面のスピード感、ライブ感たるや。必読です。
『小説の技巧』という本の中で、デイヴィッド・ロッジが「ティーンエイジ・スカース」というテクニックを紹介しています。「スカース」というのは一人称による語りを意味するロシア語だそうですが、ロッジはこれを英語風に「スキャッズ」と読めば、「スキャット」と「ジャズ」を連想させると書いています。本作の主人公は残念ながら?ティーンエイジャーではなく 1955 年現在のアラフォーではありますが、本作こそまさにジャズのような「即興性」「ライブ感」で形容するのがしっくりきます。上のほうで触れたパレードのシーンなんかは、(私はピアノを聴くのが好きなので) さしずめピアノソロといったところでしょうか。
本作は、サリンジャーの「グラース・サーガ」と呼ばれる、グラース家の7人兄妹を描いた一連の作品の中の一作です。本作を読めばわかるのですが、グラース家の兄妹たちは長兄であるシーモアを精神的支柱として、外部の人間が立ち入ることのできない特別な絆で結ばれているように見えます。まるで、人間には理解しがたい掟が支配する猫社会のようです。それゆえに彼ら (特にシーモア) の言動は謎めいていて、そこがこのサーガの魅力でもあると思うのですが、私のような凡人には難解です。しかしそういう難解な部分を置いておいても、まるでノリノリなジャズ・ライブにでも参加しているような気分で読めるところが、本作の魅力だと思います。