川崎草志『長い腕』 (角川文庫) 感想

はじめてキャンプに行ったときのこと、「このへんかな」と適当に定めた場所にテントを張って床に就いたのですが、そこが微妙に傾斜していたらしく、そのせいで血の巡りが悪くなったのか、非常に寝苦しい夜を過ごした思い出があります。床をビー玉がころころ転がっていくような歪みをもつ家というのは、そこに住む人間の精神にけっこう重大な影響を及ぼすのではないでしょうか。そんな家を、誰かが意図的に造ったとしたら。本作は、明治初期の大工の棟梁が建てた屋敷が、現代にまで「長い腕」を伸ばして社会に暗い影を落とす、そんなミステリー小説です。

本題に入る前にひとつ……よく知らないのですが、「ミステリー」って「ミステリ」と書いたほうがいいんでしょうか?間違えてたらすみません。

作品紹介

主人公は、埼玉新都心にオフィスを構えるゲーム制作会社「ネットワ・テック」に勤務する女性イラストレーター・島汐路しおじ。彼女と同じフロアの同僚2人が、無理心中を図って会社の屋上から転落死する事件が発生します。ひょんなことから、この事件と、半年前に故郷の田舎町・早瀬町で発生した殺人事件とのあいだに奇妙な共通点を見出した彼女は、会社の上司・石丸圭一の協力を得て、真相の究明に乗り出します。

本作は二部構成です。第一部はネットワ・テック社が主な舞台です。汐路や石丸が開発にかかわるゲーム『死の街』の品証への移管審査のようすや、メンバー2人の死によりとん挫しかかったプロジェクトを、石丸がフォローして立て直すようすなどが描かれます。そのなかで、後半に主人公の窮地を救うことになる知識だとか、真相究明に使われることになる情報などが読者に与えられます。

第二部は汐路の故郷・早瀬町が舞台です。もともとネットワ・テック社を退職する予定だった汐路は、最終出勤ののち、有給消化を利用して帰省。会社で発生した無理心中事件と、早瀬町で半年前に発生した事件、この2つの事件を追うなかで、明治初期に活躍し、この地でも5軒の屋敷を建てた名匠の存在が浮かび上がります。

ゲームソフト『ファンタビジョン』制作秘話?

私はあまりミステリー小説を読まないので、本作のミステリー小説としての良し悪しについてはよくわかりません (でも個人的にはとても面白かったです。とくに終盤、主人公が、それまでの伏線を次々に回収しながら犯人の屋敷から脱出するシーンのスピード感には、手に汗を握りました)。

ではなぜこの小説をおすすめするのか?というと、まったく個人的な観点からではあるのですが、作者自身がゲーム制作会社に勤務していたという経歴を持つからです。皆様は 2002 年にプレイステーション 2 で発売された『ファンタビジョン』というゲームをご存じでしょうか?ビル街の夜景をバックに次から次へと打ちあがる花火を、連鎖的に爆発させるのが気持ちいい&美しいゲームです (プレイしたのがだいぶん前なので、ちょっと違っているかも)。本作では、ラスベガスのネオン街を舞台に人力飛行機が飛び回る架空のゲームが登場するのですが、その制作シーン、実は『ファンタビジョン』がモデルなのではないか、といわれております。

ファンタビジョン (ウィキペディア)

私はゲームプログラマーではありませんが、一応プログラマーの末席を汚しております。そのきっかけは、ファミコンをはじめとするテレビゲームでした。なので本作は、ゲーム制作の現場を覗き見るような気分で楽しく読ませてもらいました。

「ラスベガスのネオン街の雰囲気がどうしても出ない」。とん挫しかかったプロジェクトの担当者からの相談を、石丸は受けます。どうも暗い中で光輝くネオンをテレビゲームで再現するのはけっこう難しいらしく、作中でも「夜中のコンビニ店内のような明るさ」と表現されています。2時間ほどカンヅメになってゲームをプレイしたのち、石丸が提案した改善方法は、人間の錯覚を利用するものでした。白輝度を落として明るさを抑える。その代わり、自機以外の飛行機を2倍の大きさにし、飛行機に当てる光源を一ヵ所だけではなく複数用意して、BGM に合わせて切り換える……など。おそらくこのあたりの描写が、『ファンタビジョン』の実際の制作現場でも繰り広げられていたのかなあ、と想像します。

この「錯覚」あるいは「歪み」と、それが人間に及ぼす影響が、本作の根幹をなす主要なテーマとなっています。

本題は以上ですが、余談をふたつ。

余談1: お姉さんにもっと活躍の場を…… (個人的願望)

本作には、主人公・島汐路の姉である島明奈が登場します。気が強く、意識高めな汐路に比べて、姉の明奈はちょっと頼りなく、作中でもあまりいいところがありません。そんな彼女ですが、実は古文書を読むことができるのです。第二部で早瀬町に帰省した汐路が、明奈と一緒に図書館で早瀬町に屋敷を建てた大工のことを調査します。明奈が持ち出した古い資料は、毛筆で書かれていました。「読めない」と投げ出す汐路に、「コンピュータのプログラムは読めても、文化遺産は読めないの?」と呆れながらも、そこに書かれていることを要約して聞かせてあげる明奈。

せっかく江戸時代からの出来事が現在の出来事にも絡んでいる本作なので、「古文書の明奈」と「コンピューターの汐路」の両輪でいったら、もっと面白くなったんじゃないかなーと思います。例えば作中、汐路が早瀬町のホームページに「江戸時代、早瀬町は将軍の天領として栄えました」と書かれているのを見て、「それしか誇れることがないんかい」みたいな感じで田舎を小馬鹿にする (あるいは地元だから自虐する?) シーンがあるんですが、天領か私領か、あるいはその両方の混在かみたいな話は町の現在の姿にも少なからず作用していると思うので、そこをお姉さんが「あんたなにもわかってないのね」みたいな形で古文書を片手に説教し、妹を黙らせる。みたいな展開があるとよかったかも、と思います (あくまで私の感想です)。

余談2: 「ネットワ・テック」社に感じる「歪み」

上にも書いたように、本作では建築物やゲーム、仮想現実がもつ微妙な「歪み」や「錯覚」がテーマになっているわけですが、私は、主人公が勤める会社・ネットワ・テック社にもちょっとした歪みを感じてしまうんですよね。

  • 退職者の送別会が、川原でのバーベキュー:
    私の経験では、そんなことは一度もなかったので (送る側、送られる側に関係なく)、ちょっと「えっ?」と思いました。都会の会社、あるいは IT ベンチャーなどではわりとふつうなんでしょうか……
  • 無理心中事件から1週間ちょっとしか経ってないのに飲み会:
    送別会とはいえ、同じフロアの同僚が2人亡くなったのに飲み会を開くというのは違和感があります。すでにお店を予約してあった、とかなら致し方ないかもしれませんが、河原でのバーベキューだったら延期でもよかったのでは……
  • 社名そのもの:
    「ネットワ」ときたら、そのあとは「-ク」と続いてほしいんですよね……そうでないとなんか落ち着きません。毎日「ネットワ」「ネットワ」といっていたら、そのうちモヤモヤが爆発しそうな気がします。

これらはネットワ・テック社での無理心中事件のために、作者が意図的に設定した歪みなのでしょうか??

そういえば、私が以前勤めていた会社では、毎朝朝礼前に社歌が流れていたのですが、ずいぶん古い録音のようで、歌詞がよく聞き取れませんでした。なんというか、子音が消えて母音だけで歌っているように聞こえるんですね。「なんていっているんだろう?」と毎日モヤモヤしながら朝を迎えておりました。一度総務に、新しく録音し直したらどうだと提案したことがあったんですが、却下されてしまいました。私が無能社員のまま終わってしまったのは、この社歌のせいでパフォーマンスを発揮できなかったからだと思います (笑)