トーマス・マン作・平野卿子訳『マーリオと魔術師』 (河出文庫『トーニオ・クレーガー』収録) 感想

はじめにお断りするのですが、この『マーリオと魔術師』はひたすらおぞましい小説です。魔術師チポッラは、公演に集まった観客たちを巧みな話術で惹きつけ、催眠術にかけて意のままに操ります。人間の尊厳を徹底的に破壊するやりかたで。ほかの大勢の観衆の目の前で。そんな作品をなんでわざわざ「おすすめ本」にカテゴライズしてブログの記事にするのか?といわれれば、読んだ者自身がチポッラの術中にはまってしまったかのように、「なんかブログでみんなに紹介したいなあ」と思ってしまうからなのです。

物語は、主人公である「私」の回想という形で進行します。書き出しからすでに不穏な空気が漂い、劇的な幕切れの主役であるチポッラの名も早速登場します。こう書かれたら、いやでも結末を見届けざるをえません:

トッレ・ディ・ヴェーネレの雰囲気を思い出すと、不愉快になる。あの町には、着いたときから腹立たしさやいらだち、息詰まるような緊張感が満ちていた。あげく、あの胸が悪くなるようなチポッラの事件で幕切れときている。(中略)
それにしても、あの凄惨な最後の瞬間に (いまになってみると、ことの本質からいって、ああなるよりほかなかったように思えるが) 子どもたちまで立ち会わせてしまったのは、いくらなんでもまずかった。チポッラというあの得体のしれない人物に、すっかり惑わされてしまったのだ。ただ、どこまでが見せ物で、どこからが現実の出来事だったのか、子供たちにはわからなかったことがせめてもの救いだった。だから、何もかも芝居だったということにしてある。

休暇を利用して家族とともにイタリアのリゾート地・トッレ・ディ・ヴェーネレを訪れた「私」は、数々の不愉快な目に遭わせられます。レストランでの座席を巡って。治りかけた子どもの風邪に因縁をつけられて。あるいは配慮を欠いた浜辺でのふるまいによって。そんな目に遭った時点で、荷物をまとめてさっさとこの町を出ていくんだったと回想しますが、後悔先に立たず、宿泊先のペンションに貼り出されていたポスターを、子どもたちが目にしてしまったために、今しばらくこの町に留まり、悪夢のようなマジックショーに立ち会うはめになってしまうのでした。

そのショーの一部始終は、本書の中盤から終盤にかけて実に 70 ページほどを割いて細密に描かれます。ショーは、のっけから完全にチポッラのペース。開演時間を過ぎても彼は姿を見せません。30 分ほど遅れて幕が上がり、ようやく舞台には立ったものの、肝心の魔術をいつまでたっても見せてくれようとはしない。こうして観客をじらすわけですが、しびれを切らした一人の若者が、彼に向って「今晩は!」と叫びます。「おまえから先に早く挨拶しろよ」といいたげに。

というわけで、彼がチポッラの最初のターゲットです。「ここにお集まりの方々に向かって舌を出す気があるかね?それも根元からだ」。「やなこった」といいつつ、チポッラが鞭をヒュッと鳴らすと、彼はその意思に反して今いわれたとおりのことをやってしまいます。これを見て無邪気に笑う子供たち。「観客に向かって舌を出せ」といわれて、そのとおりのことをやってしまう。大したことじゃない。その程度。ただのささいで滑稽な見せ物だ。でも「私」は無意識のうちに鞭の鳴る音を口で真似てしまう…。

これはほんの挨拶代わりとばかりに、チポッラによる尊厳破壊が続きます。

  • またしても先ほどの若者。今度は故郷であるトッレの町をからかわれたので、懲りずにチポッラに絡むが、今日はワインをしこたま飲んだから胃が痛むだろう、身体をかがめて楽になれ、と指令が下る。そのとたん彼は、口をぽかんと開け、膝を内またに曲げ、無様にもチポッラの足元にうずくまってしまう。
  • 別の若者が実験台になると名乗り出る。彼は身体を硬直させられ、間をあけて並べられた 2 脚の椅子の背もたれに掛け渡される。そうしてできた「ベンチ」に腰かけて脚を組み、くつろいでみせるチポッラ。
  • 「私」の宿泊するペンションの女主人であるアンジィオリエーリ夫人。チポッラが鞭を鳴らして手招きすると、席を立って彼のほうへふらふらと歩きだす。夫であるアンジィオリエーリ氏が必死に妻の名を叫んで呼び戻そうとするものの、夫人は歩みを止めない。彼女がチポッラの所まで来たところで、チポッラは「自ら勝利の冠を脱」ぎ、夫人を夫のもとへ返す。夫婦の愛など催眠術の前では無力であると見せつける。
  • しまいには舞台に大勢集められて、一斉に踊らされる。例の若者まで。たまに鞭を入れられながら。

ここまでくると、遠巻きに見ていただけの「私」でさえ「なにもかも、もうどうでもよくなっていた」という状態です。そして最後の犠牲者は、タイトルにもなっているマーリオ。序盤から純朴なウェイターとしてモブ的に登場していた彼が、劇的な幕切れのもうひとりの主役です。彼にかけられた催眠術と、そこから導かれる結末は、ほんとうにおぞましいです。ぜひご自分の目で見届けてください。

ところで、本作が出版された当時のイタリアではファシズムが台頭しつつあり、本作はファシズムに対する批判の書と見なされていたようです。そのあたりのことはよく知らないので、ここでは触れないにしても、私はどうしても、チポッラに現在のテレビ・新聞をはじめとするマスコミの姿を重ねてしまいます。われわれは知らないあいだにわが身を硬直させられて、2 脚の椅子の間に掛け渡されていたりしないでしょうか?その上に彼らが腰かけていたりは?あるいは、あなたの大切な家族が、彼らがおいでおいでをしているほうへとフラフラ歩いていってしまうのを、じっと見ていることしかできずにいたりはしないでしょうか?