「0 コマ目」で笑えて泣ける 4 コマ漫画の隠れ家的名作
はじめに
『自虐の詩』は、「薄幸の女」森田幸江の身の上に起こる出来事をメインストーリーにすえ、さらには同棲中の DV 夫、隣人のおばちゃん、バイト先の食堂のマスター、幸江の父など周囲の登場人物のサイドストーリーまでも描く群像劇です。「日本一泣ける 4 コマ漫画」の謳い文句にあるとおり、作者の業田良家は 4 コマ漫画というフォーマットをフル活用して各々の日常や人物像を描きつつ、およそ 4 コマ漫画らしからぬ?哲学的結末に彼らを導きます。
ところで 4 コマ漫画って 1 話 1 話にタイトルがついてたりしますけど、意識して眺めたことはありますか?ふつうはあんまり気にしないと思います。かくいう私も。でも『自虐の詩』では、もはや 1 話 1 話のタイトルが「0 コマ目」であるといっても過言でないくらい、欠かせない存在となっています。ここでは、そんな作者・業田良家の職人技が光るタイトル芸を 3 つ紹介します。
※ 以下、致命的なネタバレはないと思いますが、ちょっとだけネタバレを含むかもしれません。
その 1: 冒頭
作者は、作品の冒頭 3 話にいずれも「薄幸の女」というタイトルを与えています。薄幸の女というのは、もちろん主人公・森田幸江のこと。同棲相手であるイサオとの日常が描かれるのですが、イサオは気に入らないことがあると食事中であろうが麻雀をやっていようが、すぐにテーブルをひっくり返します。なされるがまま巻き込まれる幸江。後片付けをするのも幸江。まさに昭和です。令和の現代では DV とか男女共同参画とかの観点からかなり問題になりそうな描写です。テーブルを返すときのイサオの手つき、宙を舞うお茶、味噌汁、麻雀牌などがスナップショットのように美しく描かれているのもポイントです。ちなみに、最初の数話は LINE マンガで無料で読むことができます。
https://manga.line.me/product/periodic?id=S130694
この冒頭からはまるで想像もつかない結末が待っています (笑)。ぜひ最後まで読みましょう。
その 2: せっかくお年玉をもらったのに…
さて、物語も中盤になると、徐々に幸江の過去に焦点があたり始めます。現在と過去がザッピング的に進行することで、少しずつ森田幸江という人物の核心に迫るんですが、この手法が 4 コマ漫画ととても相性がいいんです。
例えば上巻 p.226 「洗髪」。床屋に髪を切りに行ったら、洗髪中に電話が鳴って、理容師が対応している間 15 分も待たされてしまった、という話です。そしてその少し後の p.231 に「あやとり」という幸江の幼少期の話があって、友達とあやとりをして遊んでいるときに、やはり似たような状況であやとりを手に作ったまま放置されてしまいます。
この 2 話は、場所と時間は異なりますが、「存在感のない幸江」を描いている点は同じだと思うんですよね。誌面のうえでもわざわざ少し離れた位置に配置しています。4 コマというフォーマットを駆使して時間・空間を自在に切り替えることで、幸江という人物のイメージを読者に少しずつ刷り込んでいくことに成功していると思います。同じようにして「やせ我慢をしてしまう幸江」「幸せから逃げ出してしまう幸江」「ろくでもない男の面倒をついつい見てしまう幸江」「なんでも背負いこんでしまう幸江」といった彼女の人物像を浮き彫りにするエピソードが、少しずつ丁寧に積み上げられてゆきます。
そして下巻に入ると、もはやほとんどのページが幸江の過去で占められます。下巻は幸江の幼少期からスタートするんですが、薄幸ぶりは現在と変わりません。相手がイサオから父親に代わっただけで、ろくでもない男に振り回される点では同じです。そんな中、下巻 p.60 でめずらしくいい展開に。普段は年端もいかない幸江に身の回りの世話をさせ、新聞配達のアルバイトもさせるような父が、お年玉をくれました。嬉しくて小躍りしてしまう幸江。「なにを買おうかなァ」とウキウキしながら街に出ます。ところが、足が向いてしまった先はお米屋さん。結局、生活のためにお年玉でお米を買ってしまいました。そう、この話のタイトルは「お年玉」でも「お米」でもなく「生活」なんです。オチまで読んでから改めてタイトルの「生活」という文字を眺めると、その何気ない言葉の存在感が倍増します。
その 3: 風向きが変わる
中学 3 年生になった幸江。新聞配達に加えて造花の内職もこなします。父は相変わらず飲んだくれ、借金取りに追われる毎日。思春期の幸江はそんな父にもはや従順であろうとはせず、軽蔑するようにすらなります。学校に行けばスクールカーストの最底辺。掃除委員を押し付けられて放課後に一人残ってトイレ掃除をするはめになったり、才色兼備のクラスのアイドル「藤沢さん」を羨望の眼差しで眺めたり。でも友達もできました。幸江とともにスクールカーストの最底辺に座を占める「熊本さん」です。この熊本さんだけが、空気のように存在感がなく、やせ我慢をし、幸せからは逃げ出し、ろくでもない男の世話を焼き、なんでもかんでも背負いこんでしまう森田幸江という人物を冷静に見抜いたうえで理解し、味方をしてくれます。だから熊本さんが何らかの事情で登校できなくなったとき、幸江はクラスの中でいとも簡単に孤立することになりました。お昼の弁当を食べるのも一人。下校するのも一人…
「森田さん、一緒に食べよ」。見かねて声を掛けてくれたのは、クラスのアイドル藤沢さんでした。ご飯に梅干しが乗っかっているだけの弁当を恥じる幸江に、エビフライをおすそ分け。これを機に風向きが変わります。体育の時間、柔軟体操で二人一組を作れば組んでくれたり。一緒に下校してくれたり。はじめは憧れの藤沢さんを前に、畏み遠慮がちだった幸江も、次第に心を開いてゆきます。藤沢さんとの親交により、クラスメイトや先生の幸江に対する接しかたも変わりました。もはや放課後に一人残ってトイレ掃除をすることはありません。みんなが手伝ってくれます。このあたりは、まるで天にも昇らんばかりの幸江の気分を J-POP の歌詞にして、サビから取ってきたかのようなタイトルが続きます。
孤独
孤独
孤独
孤独
孤独
■■■■ (自主規制)
幻聴
仲間入り
梅干し
エビフライ
ひとりじゃない
ひとりじゃない
私の弁当
ひとりじゃない
心を開く私
心を許す私
手をつなぐ私
水をかえる私
手を振る私
世界は変わる
世界は変わる
世界は変わる
世界は変わる
ところが。幸江の学校生活がこのようにアゲアゲとなる中、熊本さんが久しぶりに登校し…。上向きかけた幸江の人生はここからいっそう波乱万丈な展開を迎えることになります。詳細はネタバレなるので割愛しますが、最終的に中学卒業を機に故郷を捨て、東京へ向かうことになります。その電車の中で、彼女は過去と決別するかのようにおさげの髪をはさみでちょん切ります。
そして物語はここでいったん現在に戻ります。先ほどからタイトル、タイトルとしつこく言っていますが、現在に戻っての最初の 1 話、このタイトルが至高なんです。4 コマ漫画のたった 1 話のタイトルにここまで感動させられるとは思わなかったですね。ここから先は、ラストまで一気です。ぜひご自分の目で確かめてください。
書籍情報
本文中のページ番号は文庫版のもの。その他に愛蔵版などがあり、収録内容が微妙に異なるらしいです。